thumbnail image
    HOME
  • 資料館 別館
  • 10周年を迎えた片山歯研セミナー
  • PPNF
  • 「開業歯科医の想いⅡ」補足
  • 「開業歯科医の想いⅡ」出版記念祝賀会
  • 口述 2006年
  • 追悼関連
  • info
  • 資料館 別館

     

     

     

    資料館  別館2  別館3  蔵

  • 10周年を迎えた片山歯研セミナー

     

    自己教育から患者教育

    片山歯研セミナーが開催されて10年が経過した。
    明治生まれの片山恒夫先生は、11年目の第1歩を踏み出そうとなさっている「もうひと頑張りですわ」とおっしゃる先生を訪ねて、まずは現在の近況から歯科医療に対する今昔の思いなどなど、思いつくままに語っていただいた。

     

    (なお本稿は、片山恒夫先生のお話をもとに編集部でまとめたものです:田辺)

     

     

     

     

    朝3時ごろには目が覚めるんです。季節によって時間は少しズレますが、太陽より早起きであることは確かです。あかつきやみの道を犬を連れて散歩に出ます。公園までたどりついて犬を遊ばせて帰ってくる。この習慣はもう20数年続いています。

     

            読書は複数人数で音読       

     

    私のところでは、新聞も本もスタッフみんなで、順番に声を出して読んでいます。目で読むのではなく、声を出して読み、耳で聞いて読む習慣をつけています。新聞でもコラムなどでは、読めない漢宇にふつかります。つまずけば、辞(事)書をひいて、どういう意味があるか、語源や出典など調べて、ノートを取らせます。言葉によっては、次から次へと自分で調べていかなければならない宿題が残ることはしぱしぱです。

    これは30年以上ほとんど毎日のように続いています
     
    昨日はちょうど司馬遼太郎の「春灯雑記」(朝日新聞社刊)という随筆を読み終えたところです。最後の章に「義務について」というのがありまして、義務という倫理観念は、英国の16世紀の“発明”であること、豊かになったいまの日本人に、この義務感がなければ、日本の資本主義は巨大な凶器と化すると述べられています。義務という用語は、明治維新時に生まれたようですが、dutyとobligationという2つの英単語が、じゃあいったいどう違うのだろうか、ということになるわけです。

    全文を読む

  • PPNF

    PRICE-POTTENGER Nutrition Foundation

    感謝状 2000年

    2000年7月14日、90歳を迎えた片山先生に感謝状が届いた。

    親書   2005年

    2005年当時の恒志会理事の沖、菊地、山口先生方は、PPNFを訪れ、PPNFとNPO法人恒志会は姉妹関係を結びました。
    その時携えていった、片山先生の親書です。

    PPNFに提出した片山恒夫履歴書

    片山恒夫の生涯

    PPNFから届いた手紙  2006年

    片山恒夫の生涯

    これらの資料を見る

  • 「開業歯科医の想いⅡ」

    発刊に際しての補足(原文)

    平成11年10月03日

     

    今ここに片山恒夫の代理として出席して頂いている大阪大学教授、木下タロウ先生が大変お忙しい中、昨日、何としても代理者としての努めから、皆様にお伝えしたい事柄について、手短かでも、是非聞き質しておきたい・・・とのご熱心なご要望からわざわざお訪ね頂き、私の意向を質されました。私のご挨拶申し上げたい事をこれからお伝え願います。

     

    まず何としても皆様方に健康な姿でお目に掛かりたかった。残念な思いが第一です。だが皆さん90歳という年月をお考えください。90歳で足腰立たず、頭もまだらボケ。ボケが何パーセントあるかはご存知でしょう。皆さんこれからお話しすることも、ボケの中でのお話かもわかりません。

     

    どうぞ皆様も百歳までもお元気で「あいつは弱かったからナー」と思い返して頂きたいと願っております。

     

    第二はここにお集りの皆様、後刻お目通し頂く「開業歯科医の想いⅡ -片山恒夫セミナー・スライド写真集- 」に対し、多方面から多大のご努力・ご援助を頂いたこと「誠にご苦労様でした」とお労いの言葉を申し上げます。

     

    さあそこで、この本について少々補足的に申し上げたい事を述べさせていただく事に致します。

    この本の内容は、ご案内の通りセミナーで用いたスライドの全部を纏めたものです。セミナーに参加された方々が思い起こされたり、お話し合いなさる場合「あの場合どうだったか・・・」と言う時に、スライド写真をもう一度見直して頂ければ・・・と思い、纏め発刊を決意致しました。
     
    だがそれについての解説・説明は、熱心に参加して頂いた数名の方々の聞き取り記録の纏めで、「私はこのように聞いた・・・」と述べられているものです。
     
    私はそれについて、眼を通すことも、ましてや手を入れる事など一切致しておりません。皆様お一人一人のご記憶の中の細部と異なる場合が必ずあると思います。
     
    私は各回のセミナーで、聞いて頂く皆様により良く感じ取って頂けるようにと、前回、前々回のスライドを何度も見直し、お申し込みの参加者の年齢・出身校などを考えたうえ、できるだけ十分に練り直したつもりで発言を選んで、各回に望んできたつもりです。

     

    ですから「皆んな違っていていいのだ・・・」とも思っております。ただここで言いたい事は、その要点骨子です。

     

    私は歯科臨床において一番やりたかったことは、再発の防止でした。

     

    来る患者来る患者が、総てと思えるほど再発患者でした。この思いは歯科を志す以前から、家族全員の歯科治療に対する不満でもありました。また母親が私を頭に4人の幼児を残して、若くして肺結核の再発を繰り返し繰り返し、死んでいった事にも強く係わっております。

     

    再発を無くする手だてとして、私は患者と共に患者の内心からの反省と共に、生活のあらゆる病因の除去を、共々努力を重ねる事で完璧に近く達成する事を、それこそ医・患共同で努力して参りました。
     
    そのために「歯垢はなんぞや」位相差顕微鏡による理解と、そのものの適切なコントロールによって「かくも目覚ましく組織は回復に向かうのだ・・・」ということを、写真で記録し比較することによって納得しながら、生活習慣になるまでたゆまず努力する事。文字通りまさに「継続は力だ」と。身に付くまで続けていくことでした。

     
    その次は、歯科の場合は歯牙組織の自然回復は望めません。だから補綴・保存による修復が健康な機能回復のためには欠かすことが出来ません。その最も場合が多く、絶対必要な人的な回復装置の作製が必要なことはご存知の通り。
     
    その場合、その装置そのものが健康を害し、再発の大きな原因になることをもう一度思い返して頂きたい。
     
    私はセミナーのどの回においても、この点だけは同じように、私自らが製作したもの以外は装着していない事。
    不合理な歯肉縁下までの削去は、開業以来一歯たりともしたことはない。ただそれだけの短い言葉でお伝えした筈です。

     
    歯科の再発をどうみるか。その中でムシバの痛みの除去のために歯髄の除去をあまりに簡単に、あまりに無造作、すなわち軽々と手抜きが行われていることか。その結果の恐ろしさについて、現在また、皆様にご援助を得ながらプライスの業績を少しでも分かり易くお知らせしようとして、アメリカ歯内療法学会・歯内療法専門医養成の主導者の一人、カリフォルニア在中 GEORGE E.MEININGの図書を翻訳出版しようとしております。
     
    原因を除去することなく、より一層病因をつのらせるような修復処置をやるのでは、マッチポンプ。「私のところへお帰りください。帰って来て下さい」「やればやるほど悪くなる」との悪評を、一刻も早く無くしたいと努力して来た日常でした。

     

    第三の問題として、自然治癒能力を高めることです。それは健康の定義に疾病の除去と同時に、インファーミティ(infirmity)=弱さの除去、改善をどのようにみるかと規定しているように、臨床の一大目標です。
     
    それについて私はまず、食べ方、精咀嚼。運動については、いつでも、どこでも、誰でも出来る真向法。その中の腹式呼吸を努めて参りました。
     
    一番難しいのは食生活の改善です。それの指導のためにご存知のようにプライスの業績を紹介しておきました。

     
    開業医としての自分自身は、自分の一家はどうなるか。その辺のところを飲みながらでも、ご歓談の材料に取り上げて頂ければ‥‥と思います。 
     
    どうぞ皆様方が中核として、大きな改革の一歩を踏み出して頂けることを心からお願いし、期待しております。
    有り難うございました。
     
    代理にお伝え願った木下先生に心より感謝申し上げます。

     

    以上

  • 「開業歯科医の想いⅡ」出版記念祝賀会

    前記の「発刊に際しての補足」は、平成11年(1999年)10月03日、大阪リーガロイヤルホテルで行われた記念式典で、片山先生欠席の状況で大阪大学の木下教授が、片山先生のメッセージを代読しました。


    その記念祝賀会の模様を、中盤までご紹介します。

     

    「開業歯科医の想い II」出版記念祝賀会

     

    '99. 10. 3. 午後1時から3時

    大阪リーガロイヤルホテル ニ階 桐の間

     

    司会者:中館憲治

     

    司会 片山先生の出版祝賀会に司会要員として抜擢されましたので、なるべくご協力宜しくお願い致します。

    それでは開会のご挨拶を藤巻先生、宜しくお願い致します。固くならなくて・・・
     

    藤巻 本日はどうも皆様遠い所ながら、わざわざお忙しいのにご来場頂戴してありがとうございます。感謝致しております。

    まずはこれまで片山先生の長年使いましたセミナーの時のスライドを、一冊の本に纏めようという事で、初めは僕の今年の年賀状の挨拶には桜の咲く頃には出る・・・という挨拶をさせていただいたんですけど、半年伸びまして、丸々1年、まあその伸びた分だけ中には色々あった・・・ということなのかも知れませんけれど、でも本当にニューカラー写真印刷さんのお仕事の出来映えは、あちらに本の見本としておいてありますし、皆様にはお帰りに一冊づつお持ち帰り頂きますけれど、それは写真として良く出来たものになったと思います。

     

    自信作です。どうぞお楽しみに。肝心の片山先生ですけれど、残念ながらご欠席という事で申訳ありません。

     

    昨日もご挨拶させて頂いた時に、もう頭は聡明で一時間ほど怒られてきましたけれど、足腰がなにぶんにも自由ではない・・・ということと、こういう所に来るにはお風呂に入ったり、髭を剃ったりとか、色々長年しなかったことをしないといけないのかも知れません。分かりませんけれど。そういうことで今日、後程平井さんの方からご挨拶があると思いますし、中浦さんも見えることだと思います。ですから片山先生のいらっしゃらないぶんだけ、皆様も逆に同窓会気分を高めていただけるのではないかと思いますから、宜しくお願い致します。

    そういうことで話を長くしちゃいけませんので、これからの出版記念の祝賀会を開催させて頂きます。よろしくお願い致します。

     

    司会 続きまして発起人代表、有賀重則先生宜しくお願い致します。

     

    有賀 有賀でございます。本日は片山先生の出版記念会おめでとうございます。全国から大勢の方が集まって頂きまして、本当に有難うございます。

    本来ならば土居先生・藤巻先生・松岡先生・籾山先生あたりから代表のご挨拶があるべきでございますけども、ご 指名であり、また年長であるという事で、一言、先生に対する感謝の言葉とそして出版のお祝いを今日お集まりの 方々にご挨拶申し上げたいと思います。

     

    私が片山先生にお会いしたのは 1982 年だったと思いますけれど、大磯の片山セミナー、 その前に数年前に、実は森克栄先生がエンドの話を・・・という事で片山先生をお呼びして、その時のエンドの話には本当に驚嘆致しました。根管の心ともいうべき根管の形、特に根尖孔の位置や形を変えないという根管治療をされていてびっくりしました。

     

    それから数回、先生のコースを受けさせて頂いて、先生に色んな事を教えて頂きました。 私は口腔外科の出身なんでかなり手術もしておりましたし、エー現在もしております。しかし先生からいろいろのお話を伺い、また当時ゴールドマンが来日され、またボストンに研修に行った事がございます。そのような事でゴールドマンの本を訳された先生のお話をよく伺っておりますと、色んなことが分かってまいります。

     

    で先生のお話の中で一番根底をなしている先ず第1が、言葉の意味ですね。

    例えばプロフェス、プロフェツションのプロフェスと言う言葉。それからイニシャルプレパレーションのイニシャルという言葉。それからオーラルフィジオセラピーの意味ですね。口腔の自然療法と言いますか、賦活療法と訳された言葉。それから患者さんの丸ごと診るということ。そしてまた医・患共同作戦というような言葉をたくさん聞かせて頂きました。また具体的には新患の方の、まず入った時のアプローチ、それからドキュメンテーション。それから当時としては本当に珍しい患者さんのモチベーション。マイクロスコープを使ったモチベーション。また医科のように私達の歯科では臨床検査値によって病気の病状を患者さんにお話しすることが出来ない・・・という中にあって、1958 年でしょうかね。カラースライドを初めて活用させて、そして患者さんにいろいろな動機付けないしは病状を認識させた・・・。

     

    まぁ患者さんというのは殆ど歯科に関しては病識といいますか、インサルトと言いますか、片山先生は病態という 言葉を使われましたけれども、無い人達に対して動機付けをされたということ。そして私達、丁度エンジンの時代 に育っておりますんで、エンジンの時代にタービンのない時代にアレだけの事をされた・・・というその非凡なる技術 というものに驚嘆を致しました。まぁそして片山先生のコースの根底に流れているものは、先ず第1に何が何でも病者に対して害を与えてはいけない という事が第1だと思いますね。 第2番目としましては、医療者は患者さんに対しては、その時その場において全力を尽くす・・・という、それが 医療であると言うこと。 そして第3番目に、皆さん覚えていらっしゃると思いますが、最終の片山先生のセミナーにお話がありましたよう に、私達歯科医というのは口腔の医療者というのは、患者さんの口腔の健康回復・維持増進をすることによって患 者さんの全身の健康ないしは人生に貢献できるのだ!ということ。そしてそれを歯科医療ないしは開業外科医療とい うのは、一つの手段であって目的は患者さんの健康福祉であると言うこと、それを丁度登山に例えられまして、登 山口から山頂に向う・・・という事。登山口が歯科医療、山頂は患者さんの健康維持であると言うことを話されま した。まぁご承知のように最近の近代医療というのは、普遍性とか客観性とか、そういうような事で、一番欠けて いるものはやはり非個人的であるということだと思います。 ないしは人間、非人間性に欠けているということだろうと思いますね。そしてもう一つは時間性、非時間性であり 非歴史性である。まぁあんまり喋るとまた怒られますんで......病気にも個性があるわけです。 医療者にも個性がある。片山先生はいろんな経験をされました。人生経験もいろんな病気その他戦争も過ぎていろ んな経験をされた。医療者の経験というのは決して臨床経験だけではないわけですね。人生経験この二つが患者さ んの価値観や人生経験とぶつかりあって、そして病気を治してくるわけでございます。 片山先生は学校保健のスタディモデルだとか、長期症例を通してこの近代科学の忘れているものを我々に教えてく ださったように思います。そうかと言って片山先生は科学を軽視しているわけではないと思います。お宅に伺って 診療室やその他を見せて頂いた時に、いかに片山先生が歯科の本ないしは医科の本を読まれているか、その上に人 文科学とか人間科学・社会科学の本を勉強されているかという事が私達によくわかりました。 いろいろお話したい事がありますけれど、どうしても我々は科学というものを軽視しがちになってしまう。そして ウイリアム・オスラーがメディシン・イズ・アート・ベイストン・サイエンスという言葉を言われていますけれど 、特に基礎のベイシック・サイエンスをキチッと勉強していかないと、やはり患者さんにいいプラクティスができ ないということを教えていただいたように思います。 患者さんに対していろいろと私達はやりますけれど、やはり歯科医療、特に患者さんの信頼というのはどうしても 、臨床実績といいますか、毎日毎日の積み重ねと臨床の結果によって患者さんの信頼は次第に構築されてくるわけ でございます。 そのような事で歯科医療というのは技術が特に大切に思います。これは片山先生にいろいろお話すると、有賀があ んな事を言ったと怒られるかも知れませんけれど、私達はやはり技術に基づいて、そしてその上に患者さんに対し てゆく必要があろうかと患います。

     

    それじゃ?お前は何してるんだ...と聞かれますと、私も一生懸命それから努力しましたけれども、片山先生の足元には及ばない状態でございます。しかしやはり片山先生のコースを受けてからウイリアム・オスラーの言うように、学生に向かって言うように、諸君ら の勉強というのは、その1/3は専門書以外の範疇にはいるのだ・・・と言われたそうでございますけれど、片山先生のオフィスないしはセミナーを受けてから、私自身も出来るだけ自分の専門のことは勉強する。特に古典を勉強しました。ヒポクラテスをはじめ古典を勉強して、その中に隠れている医の心といいますか、そういうものを一生懸命勉強して、そしてその他に出来るだけ自分の年齢、年齢の一つの目安として本を、専門以外の本を読もうというふうに思って今日まで参りました。

     

    お蔭様で片山先生に教えて頂いた真向法、まぁその前からやっていたんですけど 30 年、それから毎朝の気功術も 15 年やりまして今も拡大鏡をつければ普通に宇を   ような 状態になっております。自分の事を申し上げて申訳ないんですけど、片山先生、これを聞いて頂いて片山先生覚えていらっしやいますか。

     

    Drハーバード・シルダーがボストンから来て、根管治療の話をした時ですね、ウオームテクニックを使えば 100%成功する・・・という事を言われたんですけども、その時片山先生は小野寅之助先生の解剖図鑑をお見せになり反論されました。覚えていらっしやいますか。

     

    それからもう一つ、Drゴールドマンが来日された時に先生が立ち上がって「医師にして哲学するものは神に等しく」というピクラテスの比喩というか、格言だと思いますけどお話になり、ゴールドマンが満足げに頷いていたというのを覚えていらっしゃいますか。

    とにかく今日このような素晴らしい本が出来まして、この本を座右の書として私達は患者さんに対する技術愛・人 間愛をもって、そして医の心をもってそして今後とも私自身も歩み続け、そして若い先生にもこれを伝えて行きた いと言う風に思っております。 本日は先生はお見えになりませんけど、先生のご健康を祈願し又先生を支えて下さった平井さん中浦さん、そして この会をこの本の出版にいろいろご尽力下さった長倉功さん、そして来賓の方々、またこの出版をこんなに素晴ら しい本を作って下さった編集委員の4人の先生方ないしはそのサポートをしてくださった方々に心から御礼、また 今日集まって頂いた方々に心から御礼の言葉をさせて頂いて、発起人のご挨拶とさせて頂きます。本日は有難うご ざいました。

     

    司会 今、有賀先生からお話がありましたけど、ビデオに向ってお話していたように、そちらに(方向を指示して)ビデオレターも用意してありますので、藤巻先生に言って頂ければビデオレターに集録して今日の言葉を片山先生に届ける予定で居りますので、簡単で結構ですので一言入れておいてください。それから主賓挨拶に移りますが、先ほど申しましたように、片山先生が体調悪くて、いらっしゃいませんので平井ひろみ様の方から、片山先生のお言葉を頂きたいと思います。宜しくお願い致します。

     

    平井 本日は本当に皆様、ご遠方からご出席頂きまして有難うございます。先生がいらっしゃったら本当に良かったんですが、申訳ありません。

     

    それで今日、片山先生の代理で大阪大学の木下教授に片山先生の代理をお願しておりま すので、私が木下先生のご紹介をさせて頂きたいと思います。間違えますといけませんの で読ませて頂きます。(別紙参照)
     

    司会 木下タロウ先生宜しくお願い致します。

     

    木下 ご紹介頂きました大阪大学の木下でございます。なぜ私のようなものが、この片山先生の大事な会に代理として参ったか・・・という事を、平井先生にお話し頂いたんですけれど、若干重複するかもしれませんが、私自身からも 40 数年長い間、片山先生の患者でありまして小学校の1年生台から大学卒業するまで診て頂きました。

     

    私は大学は東京におりまして、ある時、歯が非常に痛みまして新幹線に乗って、とにかく片山先生に診て貰わないといかん・・・ということで帰ってきて診て頂いた時があったんですけれど、その時に先生が専攻は何か・・・ということを私に尋ねられました。

    農学部で生物学の研究を始めていると申しましたら、先生に大変喜んで頂きまして、その後私、大学院に進学して 阪大の医学部で細菌の手ほどきを受けるという事で、また暫く大阪に戻っておりました時に、先生からお声が掛り まして、確か栄養学の原書の翻訳のお手伝いをした...という事がありました。 マアそういうお付き合いで、その後私、阪大のほうに職を得たんですけれど、時々先生から声が掛りまして、そう いう時に先生のご自身の歯科医療に対するご自分の考え方を私に話して下さり、それから先生から私に基礎的な細 菌学とか免疫学の事を質問されて、私自身も著しく忙しくなりまして、また先生も肉体的な問題でしょうけれど、 あまり広い交際というのもされなくなった・・・ということで、暫くご無沙汰しておったんですが、先日突然連絡 がありまして、今回のことを話されました。

     

    でご事情を伺いましてお引き受けしたんですけれど、マアそう言う事で昨日、直接お目に掛って参りました。で先ほどもお話がありましたけれども、頭脳は非常に明晰でご本人はまだらボケとか仰っていますけれど、まだ非常に前向きな意欲を持っておられる・・・と言う事がよく分かりました。確かに肉体的には非常に苦しんでおられるようでしたけれども、平井さん中浦さんの特段のご努力でまあなんとか元気を保っておられる・・・そういう感じを受けました。

     

    私今日代理で参りましたのは、先生からメッセージを預かってまいりまして、それを皆様に代読してお伝えするという役目でございますので、どうぞお聞き頂ければと思います。

     

    実は昨日、学生と遊んでおりまして左鎖骨を骨折しまして動きが非常にぎこちないので 申訳ありません。それではメッセージを代読したします。(別紙参照) 以上でございます。このメッセイジは、代表の方に届いていると言うことですので、後程 コピーが皆様の元に配布されると思います。

    以上、大変拙い事ですが、私からみました先生の近況のご報告とメッセージの代読を致 しました。どうも有難うございました。
     

    司会 ありがとうございした。続きまして来賓のご挨拶を頂きたいと思います。乾杯の御発声もご一緒という事で

    長倉さま宜しくお願い致します。

     

    長倉 どうも長倉でございます。本のご完成おめでとうございます。私がなにか手伝った ようなことをさっきおもらしでしたが、殆ど今度はやっておりません。まだ見ても拝見もしていないので、私はあまり関係しなかつたな?。一つだけ片山先生との出会いでお話をエピソードみたいな事をお話したいと思いますが、それは初めて片山先生の取材にお邪魔した時に、ウンと親しくなってから初めて聞いたのですが「やあーあの時はすごく緊張しま した・・・」と片山先生が仰いました。あんなに偉大な先生がどうして僕みたいな取材に緊張なさったのか・・・というのは、その時ビックリした私の方が迂闊でした。それは長倉君だろうとだれ君だろうと、同じマスコミの取材を受けるということは、正しい医療の道がどのくらい普及するか、その分岐点、天下分け目の戦いだと彼は睨んで、それで緊張したんです。その答えは聞いていませんけれど、そうに決まっています。その事に考えが及ばなかった私は非常に迂闊で恥ずかしい思いが致します。

     

    何故かというと、片山先生が頭に置いたのは、自分が手をかけた患者の歯の健康、それからさっきありました健康の回復、再発防止、健康維持、健康の自立そういう風なこと以外に、では世の中の人たちが歯で悩まない、歯の病気で再発しない・・・そういう風になるには自分として何ができるか・・・ということを常に考えていたからだと思います。

     

    私は一言でいえば、普通にいえば哲学なんですが、それがカントだのヘーゲルだのマルクス・レーニンだの、そういう所から引っ張ってきた哲学ではなく、彼が実践の中から自身の御自分の哲学を編み出した・・・という所が、勿論腕が、腕や技術は名人芸で素晴らしいし、もうお見事というか、唸るほかありませんけれど、それだけに止まらず、またそれも不可分に関係して、あの哲学が無かったら腕は上がらなかったろう・・・というと言いすぎかも知れませんけれど、「なぜこれが必要か」「このためには何をしなければならないか」というのが、「患者にどうすれば最善のことになるのか」「自分が出来る最善のことになるか」「患者たちにとってはどうか」という事をいつも考えているからだと思います。

     

    さて、これは片山先生の所に届く・・・ということですから、今日、無理に無理をしてもこの席に出席して、皆様を通して自分のお伝えになりたいことをキチンと伝える方が、これからの患者たちのためになるか、それともご休養になってこれから何かするおつもりなのか、その辺を・・・.、実は欠席だと言うから要旨、そういう風なFAXを実は片山先生のところに送ってるんですが、何で彼が欠席なのか、これからいろいろとお聞きするのが有難いです。ニヤニヤして頂いて何か嬉しく思います。私も楽しみです。

     

    どうも長くなりました。乾杯をするについて、片山先生のとにかく長生き、それから次に聡明な長生き、それから望むべくは忌憚の無い、これは望まなくても得るでしょうけれども、片山先生の一流の毒舌、それが長いこと皆様のご健康と共に祈念しまして乾杯したいと思います。

     

    乾杯!

    全員かんぱーい 拍手

     

    長倉 有難うございました。

     

     

    司会 それでは暫くご歓談して頂きます。お料理もこちらに並んでおりますので、お取り頂いて、宜しくお願い致します。「開業歯科医の想いII」限りがございますが何部か宜しくお願いしたします。

     

    それではこの辺でご来賓の挨拶を頂きたいと思います。羽根田光弘さまご歓談中ではありますが、ご来賓のご挨拶を頂きたいと思います。宜しくお願い致します。
     

    羽根田 全然聞こえない。私今日は   出版記念会というのは、本当に皆んなの同窓会 ・・・というつもりで参りました。懐かしい先生方にいろいろお会いできまして、出来ればこう言う風に思っております。本日は   聞こえない

     

    司会 有難うございました。引き続き福場デンタル(株)の会長の福場様に・・・
     

    福場 本日は   福場デンタル(株)の会長を務めます福場と申します。先日9月24日と10 月1日に片山先生から私に直接、電話がございまして合計約1時間ばかり先生とお話を致しました。その内容でございますが、まず冒頭に申しますと、先生のお声は 50 歳台、ものすごくお元気エネルギッシュなお声でございました。「福場さんよワシは今は両手両足完全麻痺だし、食事も出来ないようでお箸も持てないようになり、この電話の受話器も持てないんだ・・・」と仰って、「もう大小便も出来ないようになっている。頚の鞭打ちで頚の骨がS字状に曲がってしまっている。腰の骨もひどく曲がっておる。これは10年前にレントゲンで診て貰って酷い、庫れるのは当然と言う風に言われておったけれど、ワシは今日まで生きるつもりはなかった。イライラする気持ちが凄く出て困っている。

    で今日電話したのは、 福場さんが発明したロの中を自分で見るオーラビュー、これをワシはなんとか普及させたいと思っている。自分で見て自分で認知をするこれをドクターが教えて、どこが悪い、ここがこう言う風に悪いと患者さんに教えることの出来る器具はこのフクバのオーラビューしかない。世界にもこれほどのものはない。完璧なものである。福場さんよ、おべんちゃらで言うとるんじやーないよ。ただ一つ欠点がある。それは高級カメラと同様で使いにくいという点はあるよ。」

     

    これはご存知かどうか。こういうものでございますが、凹面鏡が付いていて、ここに明かりが付きまして、それを口の中へこう入れて見る。奥歯の裏側まで 拡大してみる事が出来ます。で〜 先生のお話は、「この大きいミラーと小さいミラーの距離はもうチョット長い方がいい。膿漏になってい人々はみんな眼が遠視が多い。だからもうプラス2センチ出来ないか。もし福場さんの方でこれを改良してみるということを社内で検討して、10 月3日までに決定してくれるならば、出版祝賀会があるのでワシが幹事の方に直接電話で話をしてオーラビューを   と言う事を、ワシは出席できないのでワシの変わりに、片山がこう言う事を言いよった・・・という風に福場さん出席していってくれませんか」。

     

    今までも先生曰く「私は思って来たよ」現在もそう思っています。ペリオの病院には必ず置いて貰うようにしたい。見ようとしたらこのオーラビューしかありませんよ。何かチャンスがあれば私の口から本当に薦めたいと思っている。 世界一である。本当なんだからドンドン出るようになったら、歯科も学会もステップした・・・ということになると思っている。オーラビューはペリオの患者にとって奥歯をみる事の出来る世界一の品物である。また同じ事を言われましたが、福場さんよオベンチャラでお世辞を言っているんじやーありませんよ。見て自分で治すことの出来る唯一の品物である。 ペリオの病院はオーラビューを患者に使用させるべきである。ここまでドクターの認識があるとすることが必要だ・・・とワシは思っている。ペリオの患者は年配の人で遠視の人が多 い。ここがプラス2センチ伸びると絶対にいいものは、ワシは伸ばしたいんだと。もしも 福場さんが「金をかけて大きいミラーと小さいミラーの距離を伸ばしますと決定して実行の方向に進まれるならば」、祝賀会において貴方の発表する時間を取ります・・・というお話でございましたけど、1時間に亘って電話で聞かせて頂きました。

     

    早速社内で検討致しまして、私の尊敬する大哲学者であり素晴らしいデンティストであります片山先生のお話しでありましたので、福場は実行します・・・と申し上げました。それで早速試作品を作りまして、こういうものをここに嵌めましてプラス2センチ伸びるよう に取りあえず致しまして、これだとプラス2センチ伸びて、ここをこれは(小さいミラーの 所)前からやっていたんですが、近視の人も居られますので3段階に短く出来るようにやっております。それと一体だったのですがばらしましてこれはこれで使います。すると歯をみるのに   これを   ミリ絞ります。

     

    昭和54年ごろに片山先生に会いまして、それからボストン大学へのヘンリー・ゴールドマン先生にも、当時北海道大学の石川教授から紹介状を書いて頂いて、私はボストンに参りましてゴールドマン先生にお会いに行ったら冬で、フロリダのパームビーチの別荘まで追いかけて行ってみて貰いましたら、ゴールドマン先生はこれを見て、「素晴らしい器械である。これは普及させるべきだ」と。「私が推薦状を書きますから、歯周病学会の幹事の先生の言葉も取りますので」とサラサラサラとコメントを書いてくださいました。

     

    これは今の片山先生のお言葉と全く同じものでございまして、その推薦文と書いてくださいましたお名前に基づいて、アメリカ歯周病学会の幹事の先生に一人一人お会いしてお渡しするということも昔やったことがございました。私の話は以上でございます。

     

    応援の声がかかる・・・

     

    長倉 えーこれはもう20年前の事ですね。ぐらい前に私はこれを取材して、非常にいいなーと思いました。いま片山先生とゴールドマンが推薦なさったというのを聞きましたけれども、是非、皆様のお手を経て熱心な患者に紹介して頂くと患者の歯の長持ちのため に非常に有力に役立つんじやーないかと思います。但しいい加減な患者はダメです。本当 にこれを見ながら自分の歯を自分でケアーして行きたい・・・そう言う人を見極めて、これは皆様のなかの眼を養うことにも役に立つと思いますが・・・で幾らでした。

     

    福場 値段は・・・
     

    長倉 2.000円幾らと聞きましたけども、もっと高いんでしょうね。ごめんなさい。もっと高いそうで・・・是非、売りこみに成功していただければフクバデンタルの会社は潰れる事はないですね。会社は潰れないで、更に次ぎの福祉に邁進できると思いますので、私からも宜しくお願い致します。
     

    司会 有難うございました。
     

    福場 あと30秒ほど、今私これを普及させる事を目的として最初会社を作ったんでございます。で、なかなか思うように動きませんものですからその他の製品を複合しまして、 現在メインは、電子イオン歯ブラシの   と言うものを、日本及び全世界に特許を取って走っております。これは九州歯科大学・広島大學歯学部・東京歯科大学・アメリカに 100 年前からある州政府の方の大學で臨床実験して貰いまして、何回も発表して貰って。 ・・・以上
     

    司会 それでは、ここでご出席出来なかった方々からメッセージが届いておりますので、 簡単にご紹介させて頂きます。

     

    「ご刊行までの行い本当に頭が下がる思いでおりました。お慶び甲し上げます。」 岩見和彦様

     

    「珠玉のご高説の取り纏めを心からお祝い申し上げます。」 鈴木博信 様

    「ご出版おめでとうございます。」 北川原 健 様

    「出版おめでとうございます。」 深田邦雄 様

     

    その他電報が相次いでおりますが、

    「出版記念おめでとうございます。1日も早い先生のご全医を心からお祈り致します。」 保坂尚紀 様

     

    暫くご歓談頂いて・・・

     

    押見先生いらっしゃいますか。押見先生一言。

     

    押見 私も片山先生との出会いというのは、とてもドラマチックというか   セミナー の前に親父と一緒に霞ケ関の総合歯科協会とかという所で、その時も片山先生の体調のアレで講演は途中で中止になるかもしれませんと言いながらやって、結局2日間も元気でお話しして頂きましたけれど、そんなことがあってからその後、僕は火曜会に入れていただく前に、東京のダイヤモンドホテルという所でそれも2日間のコースで、自分はまだグループに入れて頂いてなかったんですけれども、誰かの紹介で同じに聞いたんですけれども、その時に今でもよく覚えているんですけれども、片山先生は昔はまあ外科もおやりになっていたんでしょうけども、まあやらないという姿勢で、自分はその時盛んに外科をやりたい時期でもあったんでしょうけれども、先生どうしてもやりたい、やらなきゃーいけないケースもあるんじやーないでしょうか・・・という質問を、たしか講演会が終わってビール呑みながらいう形を取ったこと事態、当時はまあすごく新鮮だったし、いい先生だなアと思っていましたけど、そういう質問をしましたんですね。

     

    君の質問は今日の出席者というか火曜会だったんですけれども、その中の代表質問だろう・・・ということで非常にまあ大事に扱って頂いて嬉しかったんですね。そんなことがあったりしながらセミナーには結構、後半に受講したんですけれど、いろいろ自分でやってきた中でまあセミナーの終わりになった頃に受けて感じたことは、自分は20年ちょっとやってきて間違いがなかったなー、 というか確認が出来たあまりという意味では本当に嬉しかったですけれども、まあ皆さんと同じだと思いますけれども、やっぱり感性といえてる   をやってきた片山先生の話 がやっぱり一番力強いし、患者を目の前にした時にはやっぱり何処かに書いてあった事とか、お話とか言った事ではなくて、事実を見つめ続けた方が吐露した言葉が、特に一番ベ ストになる。自分もそういうようにもしなれたらいいなーという事で、それだけは堅持したいな〜というように考えております。そんなところで・・・有難うございました。

     

    会場の長倉さんから質問あり

     

    長倉 あの〜ちょっと気になる、答えはどうだったんですか。一言で言うと手術しなきゃ〜ならない時もあるんじや〜ないか・・・と。
     

    押見 そうですね、そうしたら「ウーン自分も若い頃やった・・・と。でもやりたいけどもやらないって言うこと、君分かるか」

     

    長倉 アッハッアー
     

    押見 いやー、なんか禅問答じゃないですけれど、そう言う事多いですよね。あの〜知っていると言う事は知らない事だとか、逆をこうアレした方が言葉の遊びみたいなとこありますけれど、そういう遣り取りが数分あったんですね。その時のアレが自分にはズーッと断続して残っているみたいで、ただ   しましたけれど、最近になって出来るんだけれどやらない・・・って事が意味があるんだ・・・という事は少しは分かってきました。
     

    長倉 なるほどね。ありがとうございました。
     

    押見 分かってきたような気がしますけど。
     

    長倉 どうも有難うございました。


    司会 ここで片山先生のおそばに中浦さんが到着しましたので、中浦さん一言。かけつけ三杯ではありませんが、かけつけ三分ぐらい宜しくお願い致します。皆様拍手で中浦さんを・・・

     

    (中浦さん躊躇しているらしい・・・長倉さんが片山先生の様子を言えばいい・・・)
     

    中浦 すみません。今日は皆様有難うございます。私も突然こちらにお邪魔することに決まったものですから、もう先生のそばについているつもりで用意もしてなかったので、もうビックリしております。すみません。本当にありがとうございます。

     

    あの〜お蔭様で先生もウーン元気とまではいきませんけど、まあ気分は直して頂いたので、出られるようになりました。有難うございました。喜んでおられますので、もう本当になんて言ったらいいか、本当は先生もこちらにお邪魔なさったら良かったんですけれど、アノ〜お邪魔できるような身体ではないんで・・・と私はお見受けしてしていますので、皆様にそれぞれご苦労をおかけしましたけれど、先生も本当に喜んでおられますので、ありがとうございました。

     

    司会 ごゆっくり飲んで頂いて。またお聞きしていきたいと思います。

     

    (この後の資料はありません)

  • 口述  2006年(平成18年) 1月

    この口述は片山の晩年(95歳)の言葉であり、これらの口述のおおよそ1ヶ月後、天に召された。

    平成18年1月5日

    平成18年1月6日

    平成18年1月10日

     

    以上3日にわたる口述を書き留めたものです。

    記録したものを読む

  • 追悼関連

    追悼の会 2006年4月

     

    追悼の会関連を見る

     

    開業歯科医として、ぶれない座標軸と先見性 2006年5月

     

    全文を読む

  • 資料館

    別館2

    別館3

    蔵

    まだ手付かずです

    HOME

クッキーの使用
Cookiesを使用して、スムーズなブラウジングエクスペリエンスを保証します。続行すると、Cookiesの使用を受け入れるものと見なされます
詳しく見る